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東京地方裁判所八王子支部 平成8年(わ)843号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成八年六月一六日ころ、東京都青梅市《番地略》甲野四一二号被告人方居室において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を含有するカプセルをえん下し、もって、覚せい剤を使用したものである。」というものである。

第二  弁護人の主張

これに対し、弁護人は、

一  被告人が平成八年六月一九日午前九時半ころ提出した尿は、令状もなく、かつ任意に提出されたものでなく違法に収集されたものであり、証拠能力はなく、かかる尿を鑑定した鑑定書(平成八年六月二一日付け警視庁科学捜査研究所薬物研究員山口明子作成の鑑定書)も違法なものというべく証拠能力はない。この鑑定書のほかに、被告人が覚せい剤を使用した証拠はないから、本件については犯罪の証明がない。

二  被告人は、そのえん下したカプセルに覚せい剤成分が混入していることを知らなかったから、被告人には覚せい剤使用について故意がない。

旨各主張する。

第三  当裁判所の判断

そこで、以下検討する(なお、番号は、検察官請求の証拠番号を示す。)。

一  違法収集証拠について

関係証拠によれば、本件の尿の提出に至る経緯は次のとおりと認められる。

1  平成八年六月一八日に、被告人の父親から「息子が覚せい剤で暴れている」旨の一一〇番通報があり、これを受けた東大和署生活安全課所属の中川原進警部補ほか三名の警察官や付近にいたパトカーらが同日午後五時一五分ころ東京都武蔵村山市所在の被告人の父親方に臨場したところ、被告人が被告人の父親方二階でパンツ一枚で、ペットボトルの水をがぶ飲みしたり、廊下にまいたり、廊下をうろうろしたりし、大声で一人で何か叫んでいた。

2  右現場に臨場した中川原は、被告人の母親から、「同日午後三時半ころに被告人が裸で被告人の父親方に車を運転してきて、玄関わきの水を浴び、説得して風呂に入れたところいったん収まったがその後洋服の上から水を浴びて、その水を廊下にまき散らしたり、大声をあげて叫ぶ等をした、息子は、以前、覚せい剤で何度も捕まっている、今回も覚せい剤のためであると思う、警察で保護してくれ、」というような説明を受け、被告人の顔色や様子から被告人が覚せい剤中毒であり、自傷他害のおそれがあると判断し、警察官職務執行法三条一項一号の「精神錯乱」に該当するものとして一五分くらい他の制服警察官とともに被告人を説得してパトカーに乗せ、同日午後五時四〇分ころ被告人は東大和警察署に着いた。

3  その後、被告人はいったん東大和警察署の生活安全課取調室に入れられたが、同調室においても、被告人は大声でしゃべり、立ったり座ったりし、自分で衣服を脱いで全裸となり、全身に力を込めて力んだり、取調室の壁を叩いたり、蹴ったり、取調室内に放尿したりし、同日午後八時ころにようやくこのような興奮状態がおさまってきたので、同署の保護室に入れたが、しばらくして、被告人は再び興奮して大きな声を出し始め、いったんは着た衣服を全部脱いで保護室の遮蔽板を殴ったり、蹴ったり、放尿したりし、翌一九日午前三時ころまでそのような状態が断続的に続いた後横になって毛布をかぶり午前七時ころまで寝た。

4  同日午後七時ころに目をさました被告人は興奮状態からさめていたので、午前七時三〇分に保護解除となり、被告人を保護室から出し、その後前記事情から覚せい剤使用の疑いがあったので生活安全課取調室において任意の取調べをし、同日午前九時三〇分ころ、同署の中川原、保安係小林巡査部長ほか一名の立会で被告人から尿の任意提出を受け、中川原が領置調書を作成した。

右認定事実からすれば、被告人から尿の任意提出を受けた経過にはなんらの違法もない。

被告人は、当公判廷において、保護解除となった後、取調官から尿を出せば帰すといわれたので尿を出し、帰ろうとしたが、入口に中川原ほか一名がいて被告人をとおせんぼしていた。弁護士に連絡をしたいということを何回となくいったが聞いてくれず、また、なんの返事もなく、そのまま同日午後逮捕されるまで拘束されていた旨供述する。しかしながら、右被告人のいうところによっても被告人が尿を提出するについて、捜査官側に強制にわたる行為がなかったことは明らかである。そして、その後の逮捕に至るまでの経緯が既に任意提出された尿の証拠能力に影響する事情といえないことも当然であるし、現実にも、被告人の供述するところによっても、逮捕に至る程度の強制力が行使されたわけではない。

この点について、弁護人は、被告人は尿を提出した当時は正常とはいえない状態であった旨主張し、また、被告人は、本件尿を提出した前日の午後五時四〇分ころ、東大和警察署の取調室で同署員からのど輪をされる暴行を受けたが、その影響もあって、尿を提出した旨供述する。

しかし、証人中川原は、被告人が覚せい剤の影響で自分で自分のあごの下を親指で強く押した旨の供述をするところであり、被告人の右の供述はにわかに信用し難いし、また、仮に被告人の供述するとおりとしても、被告人自身、右の暴行と尿の提出とは直接の関係がない旨の供述もするのであり、いずれにしても、これをもって、本件の尿の任意提出手続に違法があるとはいえない。

したがって、この点に関する弁護人の主張は採用できない。

二  故意について

1  関係各証拠によると、被告人は、平成八年六月一六日ころ、東京都青梅市《番地略》所在の甲野四一二号の被告人方居室において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を含有するカプセルをえん下したことが認められるところ、被告人は、当初は、覚せい剤を注射使用した旨供述していたが(乙二)、その後これを翻し、右のとおりカプセルを飲んだが、このカプセルに覚せい剤が含まれていることは知らなかった旨供述するようになり(乙三ないし五)、以後、当公判廷に至るまで、同様に、このカプセルに覚せい剤が含まれていることは知らなかった旨供述するところ、その概要は次のとおりである。

すなわち、

(1) 被告人は、従前から常習的に覚せい剤を使用していたところ、新宿のやくざから合法的な麻薬を含有するカプセルであるとの説明のもとにナチュラルエクスタシーと称するカプセルを合計三〇錠入手し、周囲の者らとこれを飲んだりしていたところ、中には、覚せい剤と効果が似ているという者もおり、被告人自身は覚せい剤を使用したときのような感覚はないと思ったが、あるいはこのカプセルには覚せい剤が含まれているのではないかとも疑問を持っていた。

(2) その後、平成八年二月三日か四日に右カプセル二錠を飲んだところ、覚せい剤を使用したときと同じような感覚であり、覚せい剤を使用した場合に特有の色やにおいのする尿が出たりしたので、この錠剤には覚せい剤が入っていると思った。

(3) 右カプセルの作用下にある状態で、同月五日に被告人は窃盗罪で逮捕され、その勾留中に被告人が任意提出した尿から覚せい剤反応がでたので、被告人は、覚せい剤の影響を脱した後に、担当のA検察官や警察官らに被告人が飲んだナチュラルエクスタシーと称するカプセルに覚せい剤が入っていたのではないかと訴え、そのカプセルを鑑定して欲しいと同検察官に頼んだ。そして、同検察官が鑑定をするというので、同年三月七日に田中重仁弁護士を通じてカプセル二錠を同検察官に任意提出し、同日、被告人は釈放された。

(4) 被告人は、右釈放後も右錠剤に覚せい剤が入っているかどうか心配であり、一〇日か一五日で鑑定結果が出るからということをA検察官からいわれていたのに、これをすぎても、被告人にはなんの連絡もなかったので、同年五月ころ、従前から面識のあった福生警察署の手塚正久係長に問い合わせの電話をしたが、同係長からは、福生警察にはなんの連絡もないといわれ、その間、田中弁護士にもA検察官に鑑定結果を聞いてもらうべく三回連絡したが、同弁護士からも、鑑定結果は出ていないが、鑑定結果が出れば検察官から連絡があるはずであるから待っているようにいわれるだけであった。

(5) 右のような経過で、同年六月一六日ころには、被告人は、それまでに鑑定は必ず終わっているはずであり、また、鑑定の結果錠剤に覚せい剤が入っていたのであれば、被告人に対してカプセルがあれば処分しろとか捜査に協力しろとかの連絡が必ずあるはずであるから、それがないということは、カプセルには覚せい剤は入っていなかったに違いない、被告人は同年二月ころコカインも使用したことがあり、知人の暴力団員にコカインにも覚せい剤の成分がはいっていることがあるのかと聞いたところ、系統は覚せい剤もコカインも一緒だからコカインに覚せい剤を混ぜものする場合はいくらでもあるよといわれ、同年二月に逮捕された際に被告人の尿から覚せい剤反応がでたのはそのせいだと思うようになった。

(6) 被告人は提出せずに残っていたカプセルを背広のポケットから発見し、これをとっでおいたが、同年六月一六日に、これがたまたま目についたので、同日、被告人方で抵抗なくカプセルを飲んでしまい、おかしくなってしまった。

(7) 被告人は、それまで覚せい剤をすべて注射使用しており、覚せい剤を使用するつもりであれば、カプセルを飲むなどという効き目が弱いものをするはずがない。

2  そこで、右被告人の供述について検討するに、

(1) 被告人が窃盗罪で逮捕され、その間に尿を任意提出し、その尿から覚せい剤反応が出て、さらに覚せい剤取締法違反で逮捕されたこと、

(2) 被告人は、当初覚せい剤を注射使用した旨供述していたが、その後これを翻し、覚せい剤反応が出た理由について前記のとおり弁解し、田中弁護士を通じてナチュラルエクスタシーと称するカプセル二錠を任意提出し、処分保留のまま釈放されたこと、

(3) その後本件で被告人が逮捕されるに至るまで、被告人は、任意提出したカプセルに覚せい剤成分が含まれている旨の連絡を捜査機関や田中弁護士から受けたことがないこと、

以上の各事実は、いずれも関係各証拠により明らかである。また、被告人が二月の事件について、カプセルの中に覚せい剤が入っていたのではないかと疑っていたことは被告人の各供述調書(乙一六、一七)により認められるところである。

3  A検察官が、被告人に鑑定結果が一〇日か一五日で出ると言った点及び鑑定結果について被告人が自ら又は田中弁護士を通じて福生警察署の手塚係長及びA検察官へ問い合わせたとする点であるが、右両名はいずれも当公判廷においてこれを否定する供述をするところである。右手塚係長への問い合わせについては、関係証拠によれば、同係長は、被告人とは面識はあったものの、被告人が二月に逮捕された際には捜査の担当者ではなかったことからして、被告人が問い合わせをする相手方として適当とは思われない点を考慮すると、被告人の記憶違いである可能性がある。しかし、A検察官への問い合わせについては、田中証人が明確に供述するところであり、被告人の供述も具体的で、その間に多少時期的な食い違いもあるが、おおむね符合すること、他方、A検察官の供述は、次のとおりあいまいなものである。すなわち、田中重仁作成の任意提出書(甲二四)、検察官作成の鑑定嘱託書謄本(甲二六)及び鑑定書(甲二七)によれば、A検察官は、平成八年三月七日に田中弁護士から任意提出を受けた白色カプセル二錠をその翌日である同月八日に千代田区霞ヶ関所在の科学捜査研究所に鑑定嘱託をし、同年七月八日(これは本件で被告人が逮捕されたより後である。)に至って鑑定書が作成されたかのようであるが、右鑑定嘱託書謄本の参考事項欄には、右カプセルが被疑者方から発見押収されたものである旨の事実に反する記載がされていること、鑑定の嘱託と鑑定書作成までの期間が約四ヶ月という異常に長期の期間であること、そのように長期間を必要とする首肯し得る理由が見あたらないこと、右鑑定嘱託書謄本の嘱託番号(八王子支第三七六号)と鑑定書記載の嘱託番号(八王子支第三七八号)とは番号が異なっていること、井上寛作成の任意提出書(甲一四)、司法警察員作成の鑑定嘱託書謄本(甲一六、一八)、鑑定書(甲一七、一九)によれば、同年七月八日任意提出された白色カプセル二錠については、同月一六日に鑑定嘱託され、同月二三日には鑑定書が作成されていること、右各任意提出がされた際に作成された領置調書(甲一五、二五)には、いずれも「平成八年八王子支領第二六九号」という本来は別事件なのであるから、付されるはずのない同一の領置番号が付されていること等、田中弁護士の任意提出にかかる白色カプセルが真実その各書類に記載のとおり鑑定に付されたのかについて疑念を生じさせる事情がある。しかるに、A検察官は、当公判廷において、右疑念を払拭するどころか、この鑑定をどこに依頼するか警察に指示をしたのか否かについてもあいまいな供述であり、鑑定嘱託書の記載が事実に反する点についても、なぜそのような記載となったのか説明できない。しかも、A検察官は、科学捜査研究所に電話をして鑑定を急いでもらうように依頼した旨供述するのにもかかわらず、自分が依頼したのが科学捜査研究所の本部なのか多摩分室なのかについてすら明確な認識を持っていないような供述もしている。加えて、同検察官は、自ら鑑定嘱託をしたのは今回がはじめてである旨述べているが、関係証拠によれば、井上弁護士提出にかかる白色カプセルは警察が鑑定嘱託していることが認められるのであって、なぜ検察官が自ら鑑定嘱託をするのかその理由についても首肯し得る説明はない。これらの諸点をみると、A検察官が当公判廷において供述したことをそのまま信用することはできないのであり、田中証人及び被告人の供述するとおりの事実が存在したと認めるべきである。

4  以上認定のとおり、被告人の弁解はおおむねこれらの客観的状況に合致するというべきところ、これらの事実によれば、被告人は、一旦は、ナチュラルエクスタシーなるカプセルに覚せい剤成分が含まれているのではないかとの疑問を持ったが、その後、その事実の有無を確認することのないまま、本件に至ったものであることが認められ、被告人が本件のカプセルに覚せい剤成分が含まれていることを確信していたといえないことは明らかである。

他方、右認定事実からみれば、一旦は、右カプセルには覚せい剤成分が含まれていると思いながら、鑑定結果も知らされていないのに、覚せい剤成分が含まれていないと軽信したとする被告人の弁解も、やや合理性を欠くのではないかとの疑問は当然生じるところである。しかし、関係証拠によれ、被告人が過去に多数回の毒物及び劇物取締法違反や覚せい剤取締法違反等、薬物の鑑定を経ているであろう罪で起訴された経験を有することが認められるほか、前記のとおり本件に先立つ二月の事件では任意提出した尿についてわずかの期間で鑑定結果が出たことを知っていたこと等からすれば、被告人が三月七日に提出したカプセルの鑑定結果が本件までの長期間出ないということはないと信じることに無理はないというべきであり、そうとすれば、仮に鑑定の結果、覚せい剤反応が出ていたとすれば、被告人に対してなんらかの捜査をするべく捜査機関が接触をとって来るであろうと考えることもあり得ないとはいえない。また、コカインの粉末に覚せい剤成分が入っていたのではないかと思った旨の弁解も、疑問はあるが、これを排斥するに足りる証拠はない。そうすると、被告人が本件当時、本件カプセルに覚せい剤は入っていなかったがために被告人にはなんの連絡もないと信じるに至ることも合理性がないとはいえない。したがって、疑わしきは被告人の利益にとの刑事訴訟法の原則からすれば、被告人が、本件のカプセルに相当程度の蓋然性で覚せい剤成分が含まれているであろうことを認識しながらあえて本件錠剤をえん下した、すなわち被告人に未必の故意があったとまでは認められない。

検察官は、被告人の捜査段階における供述と当公判廷における供述が矛盾する旨種々論じるが、多少の矛盾、変遷があることを捉えて、被告人の供述を全く信用できないと評価することは相当でなく、鑑定結果も知らされていないのに、これに覚せい剤成分が含まれているということを確信したはずであるというような議論は受け容れがたい。

なお、被告人は前記のとおり、捜査段階においては覚せい剤を注射使用したというようなことも言っていたのであり、被告人は二月の事件でナチュラルエクスタシーを使用したということで処分保留となり、起訴を免れているのであるから、それに味をしめて今回もナチュラルエクスタシーを使用したとの弁解をしている可能性はあるが、本件公訴事実からすれば、覚せい剤の注射使用を前提とすることはできないことはいうまでもない。

もとより、被告人の行動は、軽率の極みというべきではあるが、被告人の弁解するところが全く弁解のための弁解であり、信じるに足りないものと一しゅうすることはできないものと考える。

5  ところで、一般に、覚せい剤の自己使用の罪の場合、覚せい剤であるとの認識なく覚せい剤を摂取したものであるとの弁解がされた場合、ただちに覚せい剤との認識なく覚せい剤を摂取したと認定されるものでないことはいうまでもないが、その弁解が客観的状況と合致し、弁解自体にある程度の合理性がある場合には、この弁解を排斥するには、覚せい剤であると認識したはずであると認められるような特段の事情の存在が必要であると考える。

しかるに、本件については、前説示のとおり、このような状況を窺わせる証拠は一切ないといわざるを得ない。

三  そうすると、本件については、被告人が覚せい剤であるとの認識をもって、覚せい剤を含有するカプセルをえん下したことについて合理的な疑いを入れる余地がある。したがって、本件にあっては、公訴事実について犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対して無罪の言渡しをする。

(裁判官 綿引 穣)

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